八咫烏って何?なぜ日本サッカー協会のマークになったんでしょうか?
日常にいるカラスは、黒くて頭が良くて、少し怖い。そんなイメージがありませんか?
ゴミ袋をつつき、ゴミを出して道路にまき散らす。
そして、電線や木の上にいてじっと人の行動を見ている。
ちょっと怖い存在です。八咫烏はどうなんでしょうか。調べてみました。
八咫烏について(引用元:熊野本宮大社・熊野那智大社)
八咫烏とは、日本を統一した神武天皇を大和の橿原まで先導したという神武東征の故事にならい、
導きの神として篤い信仰があります。
八咫烏は太陽の化身で3本の足があります。
この3本の足はそれぞれ天・地・人をあらわす、と言われています。
八咫烏の咫(あた)は寸や尺といった長さを表す単位の一つですが、
八百万が「たくさん」を意味するのと同様、八咫は「大きい」を意味しています。
導きの神様・交通安全の神様として崇敬を集めています。
八咫烏とサッカー(引用元:熊野本宮大社・熊野那智大社)
JFA財団法人日本サッカー協会のマークは八咫烏です。
神武天皇の故事に習い、良くボールをゴールに導くようにとの願いが込められていると考えられます。
さて、サッカーを日本に紹介しその普及に大きく貢献した人物はだれでしょうか?
中村覚之助という人だそうです。かれは、小学校の教師になるも退職し、
23才の時に現:筑波大学に入学しました。
在学4年生の時に英国の「アッソシェーションフットボール」を翻訳・編纂して、ア式蹴球部を創設し、
これが日本で最初の現在のサッカーチームであると言われています。
27才の時には横浜の外国人クラブに出向き、日本で最初の対外試合を行いました。
その状況が新聞で詳しく報道され、全国の中学校から蹴球指導の依頼が殺到。
部員は各地の学校へ指導に出かけたと言われています。
中村覚之助は、29才の若さで急逝しました。
出身地が那智勝浦町の浜の宮です。
日本サッカー協会のシンボルマークは日名子実三氏のデザインによるものですが、
その図案の発案者は内野台嶺氏を中心とする人たちであり、内野台嶺氏は中村覚之助の後輩にあたります。
まとめ
良くボールをゴールに導くようにとの願いがあるため、サッカーが上手になるようお祈りと同時に
八咫烏は導きの神様・交通安全の神様として崇敬を集めていることから、道中の移動の
安全祈願として八咫烏の御守をもつのもよいのではないでしょうか?